1972年、広島県安芸郡安芸町温品は、広島市に合併する前である。
ごみごみした大内越峠を赤バス(広島バス)で下ると、田園地帯が広がる。
中山踏切を越えると旧温品村だ。
峠が原爆の光をさえぎり、この地は被爆の大きな災禍から免れた。
もちろん、忌まわしいきのこ雲は見たであろう。
広島市への合併を控え、急速に都市化が進んではいるが、まだ田圃は畑には事欠かない。
春になると菜の花が咲き乱れる。
仲良く下校する小学生達の姿も、どこかのどかである。
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最近は、小川で遊ぶ子供の姿も見なくなった。 |
リヤカーで焼き芋を売る姿に時代を感じる。
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畑に野壺などを見ることは無くなった。 |
マツダの下請け工場に列んだトラックのボディ。 |
自転車で井戸の手押しポンプを運ぶ姿は、もう日本中を探して見ることはできないだろう。 |
このため池も、間もなく埋め立てられた。 |
木製のバス停に時代を感じる。 |
どことなく、府中刑務所の傍で起こった3億円事件の現場を彷彿させる。 |
この蓮田は、広島マツダの販売店に姿を変えている。 |
手前の甍波は、旧国鉄官舎だった。 |
1972年にはすでに、マツダR360の走る姿はほとんど見なくなっていた。 |