ガイドブックに書いていない、報道カメラマンの為の
 「はじめての海外取材」 

私は2016年3月に現役引退しているので、最新情報ではありません。

海外取材が決まったら

1、まずパスポートを取得

●県庁外事係で申請書をもらう。
戸籍謄本、住民票、写真を用意するが、海外でパスポートを紛失した場合に備え、余分に用意する。
写真は、顔のサイズが違うもの、濃い影のあるものは受け付けてもらえないが、解釈の違い程度のものは、「申請者が責任を持つ」という念書を入れれば大丈夫。
発給には通常1週間かかるが、緊急の場合は裏で外事係長に頼むと早くできる。

2、ビザの申請

放送機材を持ち込む場合は、必ず業務用ビザが必要。旅行代理店で申請できる場合もあるが、大使館、領事館に直接行って申請する事もある。
出張命令書、相手国からの招待状などが必要。査証ともいう

3、カルネの申請

機材の通関を簡素化するために、主要国ではATAカルネ協定をむすんでいる。
持ち込んだ機材をすべて持ち出す事を約束し、これをカルネ協会が保証する。
書類の往復や不備などに備え、2週間程度の余裕は欲しい。

●カルネ申請の実際
カルネ協会に書類を送ってもらう。必要事項を記入し、協会申請済の社長印を押す。カルネ書類が送られてきたら、出国空港、便名、使用者名を記入する。
カルネの無い国でも、同様の機材リストは作成する。

●機材の選定にあたって
出来るだけ最小限にし、すべての荷物はスタッフで持てる量にする。
アクセサリーなどは制限し、必ず必要なもののみ予備を用意する。
機材には海外用の保険をかける。現地のサービスセンターを調べておく。

4、その他

私物は、スーツを1着、後は重ね着の利くものを用意。抗生物質などの薬。カップうどんとカロリーメイトがあると、心の支えになる。
旅費は、クレジットカード(身分証明用にも、必ず必要)、旅行小切手、外貨は多すぎないよう、20ドル札くらいが使いやすい。

5、日本出国にあたって

搭乗手続き前に、税関に行き、カルネ(またはリスト)で通関する必ず書類に印をもらう。観光の場合より1時間程度早めに空港に行く。

●入国
もっとも緊張する時、相手国の敬意を表する為にも、担当官の信頼を得る為にも、スーツで望みたい。入国審査では滞在期間を聞かれる。
通関でカルネを確認される。億劫がらずに、すべてを見せるほうが結局早く済む。
カルネのない国では「袖の下」を要求されることもあるので、何が欲しいか担当官の様子をよく見る。理屈だけでは通関できない。

●入国したら
荷物からは絶対目を離さない。一人では歩かない。強盗は2人組なので、3人連れが一番安全。
20ドル程度の現金は、いつでも強盗に渡せるようにポケットに入れておこう。生水、生氷は口にしない。
暑い国で冷たい水は腹を冷やし、体力が落ちる。現地の人は冷たいものは飲まない。暑い国ほど、半そでより、薄手の長袖。
日焼けしないことが大事。洗濯は自分でしよう。どんな立派なホテルでも、きちんと戻ってこないことがある。
パスポートは肌身はなさず、100ドル以上TCの現金化にも必要。立派なホテルでも、機材には鍵をかけるぐらいの頃得が必要。
中国やロシアでは、ホテル事にコンセントの形が違う。予定のスケジュール通りのことは運ばない。
半分も出来れば上々と思い、2度と同じ場所は通らないので、撮りたいときには必ず撮っておく。

●出国、
帰国便のリコンファームを忘れない事。通常より早めに空港に向かい、通関する。
通常の出国手順に通関はないので、入国と同じ税関を向かう。
到着便にあわせて勤務するので、確認すること。ロスアンジェルス空港は、到着と出発では建物自体がちがう。
必ずカルネにサインをもらう。カルネが無い場合は、税関に行く必要はないが、中国などでは機材をチェックされる事がある。

●帰国
税関で取材目的を利かれたら「ニュース」と言う。ドキュメンタリーとか、番組とか、答えると、税金をとられるので要注意!
カルネにサインをもらう。カルネに4ヶ所サインがないと、密輸したとみなされ、場合によっては機材総額の3倍を請求される!

私の海外取材

コダックフラショー U.S.A(ハワイ)1973年
2週間、マウイ島しか知らないが、1ドル300円の頃であるから、まだ洋行という雰囲気が残っていた頃のことだった。
昭和48年秋、ハワイ・広島観光物産展が、ホノルルの白木屋デパートで開かれた。
この展示会で再生するビデオの上映とその取材を兼ねて、社長と事業部員の3人で行った。
アンジュニュー6倍ズーム付きと、予備に3本ターレット付きのベルハウェウェル70DR、それにニコンFとコダクローム(10本持っていったコダクロームも忙しくて1本しか撮れなかった)。
自分の土産にハスキー3段の三脚を購入した。
この時は出国時カルネは使わず、通関業者に頼んだが、ハワイ入国時は団体だったのでノーチェックだった。
ホテルはワイキキにあるカピオラニ公園前のクイーンカピオラニと、アラモアナショッピングセンターにモアナホテルだった。

増尾好秋の女房と姉のジュディ・アントン U.S.A(ニューヨーク〜ロスアンジェルス)1978年
1ヶ月、東海岸から西海岸へ、レンターと横断鉄道を使っての旅。Iビザを取った。
ニューヨークとロスアンジェルスは特に治安が悪い。NYでは五番街より北には行かない事。
田舎のレストランで食事する時は、回りを見渡して量を確認しないと食べ切れないことがあるので要注意。
国連でのNGO軍縮総会は、わが社にとってはじめてのENG取材。カメラは日立のSK-80で、VTRは3/4Uマチック。
カメラマンクルーをチャーターした。
カメラマンはヘタクソというかアメリカ流というか、パン・ズームを多用し、カットは短い。
しかし、編集は丁寧で素晴らしかった。夜食を買いに夜のNYに「英語で初めてのお使い」何とかピザを買って帰れた。
国連のスタジオで衛星中継を行ったが、まずクロマキーがオレンジなのに驚く。
スタッフはアメリカ人なのに、日本語での会話に合わせスイッチングする。さすが国連で仕事しているだけのことはある。
国連総会なので園田外務大臣が出席。同行記者との会食会があった。この経費は機密費から出たのだろうか?
広島の被爆者も多数出席し、NY各地で反戦集会が開かれれた。宗教者の集会は南ブロンクス(大家が保険金ほしさに、店子が住んで位居るにもカかかわらず火をつけるというNYで一番治安が悪いところ。)で集会が行われた。
私もTBSのNY支社の記者と16mmで取材に出かけた。
この模様はTBSに送ることになり、CBSで現像しVTRにダビングして編集された。
フィルムはカルネで持ち込んでいたので、現像すると員数が合わなくなるので、あわててコダックのサービスセンターに駆け込み、同じフィルムを購入できる場所を紹介してもらい事なきを得た。
食事はホットドックの立ち食いが多かったが「ハットドッグ」と注文しない聞いてもらえない。
グランドセントラル駅地下に「オイスターバー」というシーフードレストランがあるが、ロブスターを注文すると、ボーイに生簀に連れ、自分で食べるロブスターを選ぶ。一番大きなきなロブスターを選んだので1尾でも3人で充分満足した。
このあと各地の被爆米兵の取材にでかける。カメラは16mmのCANONサウンドスクーピック。
私が、NYでカロ−セルのスライドプロジェクターを買ったりしたものだから荷物は4人で9個にもなり、1度には運べないほど大量になった。
通訳は、ジャズギタリスト増尾好秋氏の女房シャーリー。運転手には姉のジュディーアントン(昔TBSの「8時の空」で司会していた)を雇った。
ARMトラックでシカゴまで、そこからはレンターカーに乗換えインディアナポリスへ。このとき増尾好秋氏が見送りにきた。インディアナポリスはカーレ−スの町。
車のナンバーにレーシングカーが描いてあるのはさすがだ。
被爆米兵を取材したあと、再び列車に乗り、アイダホへ。 ステーキも食べ飽きたので、食堂車のメニューのなかから珍しいものを探して頼んだら、なんとダイエットメニューだった。
アメリカの列車は、夜が明けると時差が1時間。中部のフリーウェーはどこまで走ってもまっすぐのまま。
アイダホでピザを頼んだが、カントリーサイズのピザとピッチャー入りのジュースを頼んだらしく、美味しかったのだが結局半分も食べられなかった。
雨上がり、ワシントン州のフリーウェイを走っていると山に虹がかかり、車の後ろの水しぶきにも虹がかかっていた。
思わず"What a beutifull reinnbow it is!"と中学生英語を口走ってしまった。
帰りの飛行機はダイアナロスと一緒だった。

ロスのチャイニーズシアター前にて U.S.A(ロスアンジェルス〜ニューヨーク)1985年
被爆40年の取材で2度目のアメリカ横断。ロスでの入国の際、観光ビザとIビザの両方持っていたため、観光ビザのページを見て審査官が「何故Iビザを持っていないか?」と怪訝な顔をされた。
今度は西から東へ、飛行機を乗り次いで。ビールは州ごとに違う銘柄が楽しめる。海岸沿いでないところでは、シーフードは頼まない事。
ビフテキならば先ず安心。イタリア料理は美味しい。中国・韓国料理もいいが甘いことが多く、英語で書かれた中国料理のメニューは解読が難しい。
シアトルでアメリカ人対象の核兵器に関する討論会を取材することになった。
現地でACライトをレンタルすることになり、ランプが切れていないかどうかのチェックはしたのだが、いざ使おうとするといっこうに明るくならない。
よく見ると240Vの球がついている。
117Vのものは3セットのうちたった1つ。それでも650Wだったので、何とか取材はできたが、なぜアメリカで240Vなのか。
さすがに3度目のアメリカなので、大きな失敗はすくなかったが、5番街でうろうろしていると日本語で「どうかしましたか?」と声をかけられ閉口した。
逆に、英語で道を聞かれた時はちょっとうれしかった。
ロスアンジェルスでは、ジョントラブルタがチャイニーズシアター前の歩道に手形を押すところに出くわし撮影したが、おかげでデイズニーランドに1時間しか居られなかった。
移動は飛行機とレンタカーだが、デンバーでは夜中に着いて早朝出発、滞在時間は寝てる間だけだった。
ニュ−ヨークの空港は出発ロビーと到着ロビーが別棟になっているので、先に到着ロビーに行って通関しておかなくて行けない要注意の空港だ。

モスクワにて ロシア(モスクワ・ボルゴグラード)1987年
バスタブの栓を持って行くのが上級者。料理は日本人の口に合う。キャビアは高級なので、モスクワ以外ではめったに食べられない。
飲みすぎて悪酔するから、ウオッカは絶対水で割ってはいけない。
冷えたビールが飲みたかったら、ハイネッケンを注文する事。ホテル毎にコンセントの形状が違うので要注意!
パスポートをホテルに預けることがあるので、チェックアウトの時に返してもらうのを忘れない事。

bolgo3.jpg ボルゴグラードは旧スターリングラードで、ドイツ軍との激戦の地、被爆アオギリではなく被弾ポプラ、原爆ドームではなく被爆した製粉工場、平和公園ではなくママエフの丘など、広島とよく似ています。
ボルガ川にはチョウザメが泳いでいますが、一般市民は捕獲禁止になっています。
しかし、姉妹都市友好訪問団の我々は特別に捕獲でき、朝いちで獲れたてのキャピアを黒パンに山盛りに生キャピアを載せて食べる贅沢を味わえました。
一生分のキャビアを食べたかな?
夏には大量の虫が発生するそうですが、春にはタンポポの綿毛が一杯飛んでいます。
bolgo2.jpg 市民の多くはアパートに住んでいますが、郊外には畑と簡易な別荘を持っています。
さすがに冬は寒くて、洗濯物を外に干すと凍結しフリーズドライで乾くそうです。
bolgo4.jpg 市場では、ボルガ川で獲れた魚をフライにして売っています。
ボルシチではなくサリャンカというスープが美味しいのですが、日本のロシア料理店で出すところは無いと思います。
十代の若い女の子は人形のように無茶苦茶かわいいのですが、ある一定の年代を過ぎると寒さ対策のため?か太ってきます。
紫禁城にて 中国(北京)1990年
都会の中華料理は最高。外国人専用のレストランは高いので、できれば庶民が行くやや高級な食堂に行く事。
ビールは青島より、五星のほうが美味しい。毎晩食べ過ぎるので、とても3食は食べられない。
朝昼兼用でお粥を食べるか飲茶がお勧め。

マオリ族の娘と ニュージーランド(オークランドほか)1991年
森と湖に囲まれた自然いっぱいの国と思われているが、本当は天然カウリを伐採しすぎて、人工植林された島。緑の牧場こそ自然破壊の結果なのだ。
反省して、森に戻す運動が進んでいる。
日本的で、車も右ハンドルだから運転しやすい。但し、一般道でも100km走行なので、交通事故が多い。モーテルに泊まって自炊すると経費も浮く。
訛にさえ慣れれば言葉もわかりやすい。人間の数より羊のほうが多い国で、一日に四季があると言われるほど天気はかわりやすいが、基本的には農業国。
肉や野菜は日本の1/3以下。
最初の2週間は、広島からニュージーランドラリーに参戦したラリーストの取材。
しかし、輸送船のスクリューが壊れ到着が遅れ、港からパトカー先導の街道レース並みの走りで、やっとスタートに間に合わせた。
我々も取材もそこそこにサービスや食事の支度も手伝い羽目になってしまった。
夜のサービス後、ふと空を見上げるとムーンレインボー夜の虹がかかっていた。
山道のカープにはものすごいバンクがついていて、夜は結構怖い。
早朝出発したラリーカーは、我々がロトルア港のほとりの温泉でのんびりしている間に、スペシャルステージのなかでリタイアしてしまった。
ラリーのあとは住建産業(ウッドワン)の社長と、森と材木工場の取材。私は植物も好きなので結構楽しかった。
ニュージーランドは航空運賃も安いので、空撮にはヘリをチャーター。4人以上の移動なら、小型機をチャーターすれば定期便より安い。
趣味と仕事の一致した楽しい4週間だった。

リゾート島にて モルジブ(マレーほか)1992年
青い海、白いサンゴ礁、緑の椰子に囲まれた南の楽園ではあるが、とても仕事をるところではない。暑くて公務員は午後から休む。
野菜・果物は輸入に頼っているので高い。体調が良い時のカレーはうまい。
 生水は飲まないなど注意していたが見落としがあった。
朝早く漁船に乗ってカツオ漁の取材に出かけた時の事、日本の常識で半そで半ズボンで船に乗ったが、太陽が上がってから気がついた。
インド洋の光は生半可ではない。漁師を見ると、長袖長腰巻?である。
それと、漁の前に網でとった餌の小鰯が生きがいいので、漁師が生で口に入れ「私にも食べてみろ」という。つい食べてしまったが、これが良くなかった。
その上、帰る頃には手足は日焼けで真っ赤。
悪い予感がしたので、夕方、海で体を冷やしたあとアフターシェーブローション、スキンクリームなど持っているものを皮膚に塗り、熱でうなされながら朝を迎えた。
何も処置しなかった同僚は、水ぶくれでしばらく仕事ができなくなった。
私は、その晩からものすごい下痢が続き、朝は何も食べず、昼はバナナと水。夜はちゃんと食べるのだが、朝までにすべて出てしまう。
こんな状態が1週間以上続いた。

仏教遺跡にて スリランカ1992年
仏教遺跡に囲まれたいい国だが、北部のタミール人ではなく、シンハリ人が政府を動かしている。
ナッツや果物は美味しい。 米はパサパサなので白米より焼き飯。 しかし、体調がわるく焼飯やカレーは食べる気がしない。
特にコリアンダーの香りがつらい。やっと日本食の食らべれるホテルで注文した天丼は、ココナツ油の入った天ぷらだし、うどんもまずい。
名所のシギリアロックも登るのもやめ、ホテルで休養。
その後、キャンディのホテルでありついたスパゲティーから体調が戻りはじめ、臭くて有名なドリアンも口にすることができるようになった。
コロンボのホテルは良かったが、地方では、お湯が出なかったり、エアコンが効かなかったりはするので要注意!

バリの民族衣装 インドネシア1992年
島ごとに文化が違うイスラム国だが、外国人にはそれほどやかましくない。 有名なバリ島も日本の田園地帯の田舎だと思ったほうが、腹が立たないかも。
日本食より、インドネシア料理に早くなれたほうが徳。 
 バリは民宿、朝早くから鶏(闘鶏に使う)の鳴き声で目が覚める。バリダンスや寺院の取材なので現地の衣装に着替える。
最低でも腰紐だけはつけて置かないとヒンズー教寺院の境内には入れない。
 私は左利きなので、食事の時間違えないよう左手にバンドエイドを貼った。食事右手、トイレは左手を使う。

マーケット前にて ブルネイ1992年
石油と黄金に囲まれたこの世の楽園ではあるが、観光客としては、見るところがなく、酒も飲めないので、面白くない。
 モクテルという酒の入っていないカクテルやノンアルコールビールはあるが、とても我慢ができない。
そこで、隣国のマレーシアとの小さな国境の川の対岸まで小舟でハイネケンビールを買いに行く。
 ふんだんに埋蔵している石油のため、税金、教育費はタダ、社会保障も充実している。
ブルネイ人のほとんどが公務員か商売人で、肉体労働するのは外国人。

カニもおいしい 中国(上海)1994年
小籠包は毎日でも食べたい。
上海の発展はめざましく、最新情報の入手が必要。

自費での海外旅行

U.S.A 2007年
ラスベガス ラスベガス:カクテルパーティーでドライマテニーを頼んだら「ジンかウォッカか」聞いてきた。
どうやら、どっちをベースにするかと聞いているらしい。初めてのことなのでビックリしたが、ウォッカを頼んだ。

NY 3度目のニューヨーク: ジャズバーで頼んだマンハッタンは、バーボンベースでちっとも甘くない。
通常はライウィスキーベースでベルモットがしっかり入っているものだと思っていたが、ほとんどバーボーンにやや香がついている程度で飲みにくかった。
カクテルの解釈の広さを再認識した。

台湾 2014年
台湾 台北: 中国料理は美味しいし、タクシーは使いやすい。
英語・中国語・日本語がチャンポンで使える。トイレットペーパーは水に流さない。

EU 2014年
イギリス イギリス:イギリスは食事が不味いと言われるが、宗教上の問題があって料理の方法が決まっていたりする。
最近は改善されつつあるというが、状況をよく見たほうが良い。
通貨は、ユーロではなくポンドであり、イギリスからEUへの移動は荷物チェックがある。
治安は比較的良い。

フランス フランス:EU域内からの入国は入国審査も通関も一切ない。
白タクも平気で客引きするし、ジプシーの少女集団も一杯いるので注意が必要。

イタリア イタリア:列車の中にまでジプシーの少女が寄付のカードを置いて回るが、手を出してはいけない。
観光地には、フランス同様ジプシーの少女集団スリが居るので注意が必要。 食事はどこでも美味しい。

シンガポール 2016年
マーライオン シンガポール:シンガポールらしいところは、マーライオン周辺しかない。
英語、中国語が主流で、料理は中国料理がメインで、インドネシア、マレーシア、インドなどだが、フードコートではお酒が飲めない所が多い。

ベトナム 2017年
モコン川 ホーチミン:戦争証跡博物館は、報道カメラマン達が命がけで撮った写真が展示してあるので、取材の合間を縫ってもぜひとも訪れたい。
フォー、パイン・ミー(フランスパンのサンドイッチ)など、ベトナム料理は美味しいが、大衆的な屋台での生ものは気を付けたほうが良いかも。
タクシーは安いので使い勝手は良いが、白のボディの38.27.27.27と緑の38.38.38.38がお薦めらしい。

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