将棋の部屋

我が家のお宝 丸山忠久名人(当時) 森内俊之八段(当時) JT杯取材のついでに、こっそりお願いして駒箱に書いていただきました。
この駒箱は、倉敷の大山記念館で買ったものです。
もったいなくて、もう使えません。

私の免状
免状 うれしいことに免許年月日が誕生日になっている

山崎隆之新人王の祝勝会 広島出身の将棋棋士といえば、過去はあの大山15世名人のライバル増田幸三九段、最近は「聖の青春」で大ブレイクした故村山聖(むらやまさとし)九段が有名。

山崎隆之八段:2004年2度目の新人王と04年度NHK杯選手権者を獲得。

森信雄六段

師匠の森信雄七段


片上四段(当時) 広島市内2人目のプロ棋士が片上大輔七段。
東大生ということで、なにかと目の敵され四段になかなかなれなかった。
上記写真の私の左隣が片上大輔の母親である。05年春、無事卒業し将棋に専念する。

糸谷四段(当時) 04年10月から三段リーグ入りした糸谷哲郎四段。06年3月9日四段昇級を決め、広島出身森門下3人目のプロ棋士となった。

竹内新四段 竹内雄悟五段:奨励会時代、三段リーグ戦の2013年3月9日の最終2局で連勝し、同じ11勝5負の上位3人が誰も連勝できなかったため、昇段が決まりまった。
広島将棋センター出身棋士は、故村山聖九段の後、山崎隆之八段、片上大輔七段、糸谷哲郎八段に続いて5人目です。
棋士番号は、292番です。

27期竜王を奪取し、八段に昇段。祝賀会が、2015年1月25日地元広島で開かれた。
糸谷哲朗六段と思っていたら、竜王挑戦で七段になり4勝1敗で竜王を奪取して、あっという間に八段にまで昇ってしまったので、もう「糸谷君」などと呼べない。
糸谷少年が、本多さんに連れられてJT杯の前夜祭に来ていたのが、ついこの間の事のような気がするが。

羽生4冠との挑戦者決定戦などを振り帰って解説していたが、師匠の森信雄七段は、「兎に角、羽生名人に勝って挑戦者にさえなってくれれば、それだけで充分」などと言っていたらしい。

糸谷竜王は、「対局移動日に台風や大雪で会場にたどり着けるどうかのほうが心配で、緊張する暇さえなかった事など運にも恵まれていた」などと話し、会場を沸かしていました。

祝賀会4 師匠の森信雄七段のほか、広島出身の兄弟弟子、山崎俊之八段、片上大輔七段、竹内雄悟四段の全員集合です。

村山聖杯将棋怪童戦

17kaido1.jpg 将棋怪童戦は、A級在位のまま29歳で亡くなった天才棋士村山聖九段を顕彰して、毎年府中町で高校生以下の子供を対象に行われている。
17kaido2.jpg 村山家のご両親のほか広島出身の山崎隆之八段、糸谷哲郎八段、片上大輔七段、竹内雄吾五段段の棋士が参加。
第1期では、山崎隆之四段だけだった事を思えば、隔世の感がある。
師匠の森信雄七段も、村山少年がただ1人の弟子だったのが、今や将棋界の最大派閥までの増えていて、タイトル戦に弟子が登場するのも珍しくなくなった。
17kaido7.jpg 大盤解説の前半は糸谷八段と竹内四段(当時)で、後半は山崎隆之八段と片上大輔六段(当時)だった。

山崎七段 第1回怪童戦で指導対局する山崎四段(当時)

里見香奈女流初段 出雲の稲妻、里見香奈女流名人(当時小6)のアマチュア時代の対局風景。観戦しているのは森内九段。
2003年はJT杯の決勝に出場したが、怪童戦などにも出場しに広島まできていた。


女流棋士 高橋和女流二段の著書
和のサイン
高橋女流二段は写真も結構好きで、
私のライカのファインダーを面白そうに覗いていた。
しかし、19歳も年上の「聖の青春」の著者
大崎善生氏と結婚し、ついに引退。
高橋和
RCCラジオに出演した高橋和女流二段
広島将棋センター

新装移転なった「広島将棋センター」。 村山聖、山崎隆之などの棋士を生んだ。
席主の本多さんを抜きに広島の将棋界は語れないが、残念ながら2003年9月なくなられた。
730-0032広島市中区立町1-2ベルプラザ4F
TEL082-246-9583

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